【悲報】池田政和さん死去|52歳の若さ…スーパースター4V“伝説の走り”に別れ

【追悼】池田政和さん、52歳で逝去

スーパースター4V、SG8冠──“川口の魂”として生きた男の軌跡

オートレース界に、あまりにも突然で受け入れがたい訃報が走った。

2025年12月9日、SG8冠を誇り、“スーパースター王座決定戦4V”という歴史的偉業を成し遂げた男── 池田政和さん が病気のため逝去した。52歳。若すぎる別れである。

多くのオートレーサーが尊敬し、ファンから愛され、そして何より“仲間から慕われた男”。

その走りと人柄は、平成から令和まで30年以上、確かな輝きを放ち続けた。

本記事では、池田政和さんの実績、走りの哲学、人柄、そしてオートレース界に残した功績を振り返り、深い敬意と感謝を込めてここに記す。


目次

■ 1. 23期生としてデビュー──船橋から川口へ

池田政和さんがオートレーサーとして歩み始めたのは 1993年7月2日

23期生としてデビューし、当時はまだ船橋支部に所属していた。

鍛え抜いた体格と闘志むき出しの目つきが印象的で、デビュー当初から「これは大物になる」と噂されていたという。

整備センスがずば抜けていたことは早くから知られており、同期間でも頭ひとつ抜けた存在感を放っていた。

後にホームバンクを川口へ移籍。

ここから“池田政和=川口の雄”というイメージが定着していく。


トライド

これが伝説の始まりです

■ 2. SG初制覇は1999年日本選手権

池田政和さんが全国のファンに名を刻んだのは 1999年 日本選手権オートレース

緊張感に満ちた重圧の中、池田さんは

「攻めるしかない」

と語り、いつもの気迫あふれるコーナーワークで勝利をもぎ取った。

このレースを機に“SG級レーサー・池田政和”という評価が確立し、本人もこの時期から勝負師として一層研ぎ澄まされていく。


■ 3. 歴史に名を刻む“スーパースター王座決定戦4V”

池田さんの名を語るうえで、絶対に外せないのが スーパースター王座決定戦4度制覇(2000、2002、2004、2005)

スーパースターはオートレース界の“頂上決戦”。

そのタイトルを4度勝ち取ったレーサーは、歴史上でも極めて希少な存在である。

特に印象的なのは、2004年と2005年の連覇だ。

観客席からは

「池田が来たぞ!」

「コーナーで一気に詰める、この男は本当に天才だ」

といった声が飛び交い、会場が沸騰する空気を作り出した。

池田さんの走りは、ただ速いだけではない。

“魅せる速さ”だった。

気迫を前面に出したコーナリングは、直線スピードを超えた“職人技”。

追い上げの鋭さは、まさに勝負の鬼であり、観る者の心を震わせる迫力があった。

多くのファンが池田政和というレーサーに惹かれた理由は、まさにこの「魂を燃やす走り」にある。


トライド

圧倒的な玄人!まさに職人技でしたね

■ 4. 通算記録──偉大な“結果”が語る強さ

池田政和さんの成し遂げた記録は、今も色あせることがない。

  • SG優勝:8回
  • スーパースター王座決定戦:4回制覇
  • 通算優勝:72回
    • G1:10回
    • G2:9回
  • 通算1着回数:1060回
  • 生涯獲得賞金:12億9729万6616円

どれを見ても、オートレース史に残る大記録である。

特筆すべきは 1,060回の1着

これは“一度勝てば幸運、二度勝てば実力”といわれる世界で、絶対的な技術と精神力を保ち続けた証だ。


トライド

文句なしのレジェンドです

■ 5. 整備の天才──機械と語り合う男

ファンや関係者から語られてきた池田さんの特徴として、

「整備の鬼」

「機械と対話するタイプ」

という言葉が多い。

エンジン音、振動、気温、湿度、タイヤの削れ具合──

すべての情報を感覚でつかみ、微調整を繰り返す。

レーサー仲間からは

「池田さんの整備を見ていると、まるで職人の工房にいるようだ」

と言われるほどだった。

整備が決まったときの池田政和は、とにかく手が付けられない強さを見せた。

その走りはまるで「機械と一体化した」ようで、誰よりも深くコーナーへ突っ込み、出口では鋭く立ち上がる。


■ 6. “気迫のコーナーワーク”──多くのファンを魅了

池田さんの代名詞ともいえるのが、気迫をむき出しにしたコーナーリング

直線で追いつかなくても、コーナーでえぐるように差し込む。

外から回るときの滑らかさと大胆さは唯一無二で、解説者が何度も驚きを露わにしたほど。

あるファンはSNSでこう語った。

「池田のコーナーワークで鳥肌が立たなかったレースはない。

あの走りをもう一度見たい。」

池田政和というレーサーは、ただ速いだけではなく、

“魅せる走り”を追い求めたエンターテイナーでもあった。


トライド

もう、あの走りを見ることができないなんて

■ 7. 2025年、療養へ──そして最後のレース

池田さんのラストレースは 2025年1月18日 川口 7R(2着)

このレースを最後に、病気療養へと入った。

復帰を信じ、ファンは続報を待ち続けていた。

しかし、2025年12月9日、静かにその生涯を閉じた。

誰もが望んだのは

「もう一度、池田政和の走りが見たい」

ということだった。

若すぎる別れである。


■ 8. 人柄──仲間から慕われた“面倒見の良い兄貴”

実績や強さだけでなく、池田さんが多くの人に愛された理由は「人柄の温かさ」にある。

  • 若手へのアドバイスを惜しまない
  • 整備場で冗談を言って場の空気を和ませる
  • 後輩の不調には気づいて声をかける
  • 勝ち負けに関係なく、レース後は必ず相手をねぎらう

周囲からは

「怖そうに見えて、話すとめちゃくちゃ優しい」

「男気があって、人に気を遣わせない人」

という声が多い。

ある同期レーサーはこう語る。

「政和は負けず嫌いだけど、意地悪なところは一つもなかった。

ファンにも仲間にも愛される、そういう男だった。」


■ 9. ファンとの距離が近いレーサー

池田政和さんは、ファンサービスにも積極的だった。

  • サイン会では時間をかけて丁寧に対応
  • 子どものファンには特に優しい
  • 写真撮影も嫌な顔をしない
  • 整備場で声をかけられれば笑顔で応じることも

「かっこよさだけでなく優しさが滲み出ている」

「池田さんに会ってオートレースが好きになった」

というファンも多い。

単なるトップレーサーではなく、

“オートレース界の顔の一人”

として長年活躍した。


■ 10. オートレースの歴史をつくった男

池田さんのキャリアを総括するなら、こう書くしかない。

「オートレースというスポーツの魅力を体現した男」

  • 技術
  • 整備
  • 勝負哲学
  • 魅せる走り
  • ファンとの距離感

そのどれもが一流で、どの時代を切り取っても池田政和という名前は欠かせない。

もし“平成~令和のオートレース史ベスト5”を作るなら、必ず彼は入る。

それほどの存在である。


■ 11. 川口オートが献花台を設置──別れを惜しむ声

川口オートレース場は、12月27日からの

「スーパースターフェスタ2025」

にて、正門脇に献花台を設置すると発表した。

多くのファンが花を手向け、涙を流すだろう。

そして誰もが、池田政和という偉大なレーサーの面影を胸に刻むはずだ。

スーパースター戦を4度制した男。

その雄姿をもう見ることはできないが、

彼の走りはファンの記憶から決して消えることはない。


トライド

心よりご冥福をお祈り申し上げます

■ 12. まとめ──池田政和という“唯一無二の存在”

52歳。

オートレース界にとって、あまりにも早い別れである。

池田政和さんが残したものは、

  • 数々の記録
  • 魂を燃やす走り
  • 後輩への影響
  • ファンへの感動
  • そして“川口の誇り”

どれをとっても計り知れない価値がある。

もう彼の走りを見ることはできない。

しかし、池田政和というレーサーが

「オートレースの魅力そのもの」

であったことは永遠だ。

オートレース界は一人の巨星を失った。

だが、その光はこれからも消えることはない。

池田政和さん。

長い間、本当にお疲れさまでした。

そして、数え切れないほどの感動をありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。


それでも、ボクたちは生きていく。オートレースの火を消さないために、勝負は続いていく。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次